韓民族の起源
韓半島にいつから人類が生きたかは、まだ明らかになっていません。
しかし、今日の考古学的研究によると、約70万年前の旧石器時代から
この土に人が住み始めたと言われています。
その遺跡としては、忠南 公州の石壮里、平南 サンウォンのグォムンモル
などにいろんな所があります。この人達は、主に、漁撈や狩猟をしながら
山や野原で採集生活をして暮していました。
BC7世紀頃に出現したといわれる古朝鮮は、BC4世紀頃ヨニョン地方を
中心に韓半島の北部に至るまでの王国に成長しました。
この古朝鮮は、半島での最初の国家であります。
三国時代
(BC57年~AD676年)
高句麗、百済、新羅の3国が数世紀に渡って、互いに争いながら存立して
いた時代を三国時代と呼びます。
三国のうち、百済と日本との関わりは深く、農業・漢字・美術・音楽に至る
まで飛鳥時代の文化の基礎をもたらしたことで知られています。
高句麗が、三国の中で最も先に登場し、南満洲のドンガ江の流域に建国(BC37)、その後鴨緑江流域の国内城へ移ります。高句麗の人は、強靭な
気質を持っていて周辺の他国を征服し、生活を導いていきます。
百済は、漢江流域で高句麗の王子の温祚王によって建国(BC18)され、
王族の扶余氏と8性の大部族が支配権を掌握しました。
その後、3世紀の半ば頃から、国家体制が整備され強力な征服国家へと
発展します。
新羅は、高句麗や百済より国家体制の整備が遅かったのですが、
その分勢いがありました。新羅は、朴、石、金の3氏が入れ代わりに王位を
継承していましたが、17代の奈勿王(346ー402)の以後は金氏が王位を
独占しました。
6世紀に入って、律令を頒布し仏教を公認します。真興王(540-576)の時から
飛躍的に発展して、洛東江流域と漢江一帯を掌握、咸鏡道まで北進して
高句麗の地域までに進出していきます。
あの征服事業は、巡狩碑によって立証されており、三国を統一した基盤を
揃えていきます。
統一新羅時代
(668年~936年)
韓半島の中間に位置している漢江流域を確保した新羅は、唐を宗主国として
仰ぎ、唐と共に百済を滅亡させ、続けて高句麗を奪って遂に韓半島を統一
しました。
こうしてはじめて統一国家を成すようになり、三国の文化を融合し相互文化を
受け入れて民族文化を形成するようになります。特に、仏教の信仰とともに
その芸術が繁盛し、仏国寺と石窟庵などの優れた仏教芸術を創造しました。
9世紀に入ると、王位継承をめぐる争いや地方豪族の反乱が続き、新羅は
急速に衰退していきます。このような混乱は、全国的な民乱に広がり、
地方の権力化らが力を合わせて新しく国を建てました。
このようにして建てられた国は、後百済と後高句麗ですが、 これらは新羅と
合わせて後三国と言います。後三国は、高麗の建国と同時に滅びることに
なります。
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